アクシズ教と中国人
最近なるほどと思ったのですが、アクシズ教と中国人の思考は似ているなと。中国に行くとその刹那的生き方とある種の開放感がすごく心地よくなる時があります。
これは普段モラル違反としている事項の制限が解除されることに対する開放感だと思います。
アクシズ教の教義はとても刹那的です。
『アクシズ教徒はやればできる。できる子たちなのだから、上手くいかなくてもそれはあなたのせいじゃない。上手くいかないのは世間が悪い』
『自分を抑えて真面目に生きても頑張らないまま生きても明日は何が起こるか分らない。なら、分らない明日の事より、確かな今を楽に行きなさい』
『汝、何かの事で悩むなら、今を楽しくいきなさい。楽な方へと流されなさい。自分を抑えず、本能のおもむくままに進みなさい』
『汝、我慢することなかれ。飲みたい気分の時に飲み、食べたい気分の時に食べるがよい。明日もそれが食べられるとは限らないのだがら……』
『犯罪でなければ何をやったって良い』
中国人はこの教義のさらに一歩先を行く『なにをやってもいい!』という段階です。
自分のなかの判断基準に対して「それはだめだろ」と思いつつ「この世界じゃなにをやって良い」という誘惑はとてつもなく大きなものです。
この世界ではアクシズ教徒が最大勢力だったのですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿